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上京区・不思議

2014年8月31日 (日)

あの世への架け橋? 一条戻橋 

一条堀川に小さな橋が架かっています。その名も「一条戻橋」。ここはいろいろといわくつきの橋なんです。
そもそも“戻橋”という名前が付くようになったのは平安時代中期、文章博士の三善清行(みよしきよゆき)の葬列がこの橋を渡っていました。その時、息子で修験道の修行から戻ってきた浄蔵(じょうぞう)が父の棺と出会いました。浄蔵は修行のため京都を離れていましたが、父危篤の知らせを受けて急ぎ戻ってきたのです。
しかし、残念ながら間に合わず父の葬列に遭遇した醸造は、最後に言葉を交わせなかったことを悔やみ、「父の魂を戻してほしい」と一心に読経をしました。そうすると父の清行が息を吹き返し、浄蔵は話をする事が出来た。という故事に由来します。(下の写真は昼の一条戻橋)

Img_0778
一条戻橋にはそれ以外にも怪奇な物語が数多く残されています。
同じく平安中期。渡辺綱という人物が深夜、馬に乗って一条戻橋を通りがかった時に一人の女性に出会いました。女性は「都の外へ送って行ってください」というので、綱は快く引き受けて女性を馬に乗せます。
すると女は恐ろしい鬼となり「私の行く所は愛宕山ぞ」と言って、綱の髻(もとどり)をつかんで北西の方向に向かって飛び上がりました。しかし綱は冷静に刀を抜き、鬼の腕を切り落としたところ、鬼は片腕のまま愛宕山の方に飛び去っていったそうです。(下の写真は夜の戻橋)

Img_0954

この橋はその昔、内裏から見て北東の鬼門方向にあったため、“鬼が入ってくる方向にある橋”と恐れられたそうです。
また、平安時代にはこの橋を渡った先に葬送の地があり、葬列は必ずこの橋を渡ったそうです。そのため余計この橋が“死”に通じる不気味な存在として恐れられたようです。

一方で第二次大戦中、出征していく兵士たちはわざとこの橋を渡り、生きて家に戻れることを願ったとも言われています。

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この橋の下にある堀川は、以前は空堀同然でしたがいまでは小川の流れる憩いの場となっています。その川に沿って南に少し下ると、かつて市電が通った橋の橋脚の跡がのこされています。(下の写真です)
休日に散策を兼ねてこの戻橋を訪ねてみるのもいいかもしれません…。

Img_0794

参考
・伊藤久右エ門 「ちょっと言いたくなる京都通」
http://www.itohkyuemon.co.jp/site/kyoto/tuu57.html

・京都新聞「ふるさと昔語り」
http://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mukasikatari/061121.html
 

京都あちこち探訪録

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